2017年11月10日金曜日

進撃の巨人 その2 壁の外の向こう側

※進撃の巨人のネタバレが多数含まれます。全話既読である事前提に進めますので閲覧注意












前回の記事の続きとして、進撃の巨人について書きたいと思います。言いたいことは殆どそっちで書いてしまっているので、是非そちらをご覧の上読んで頂ければ幸いです。

本当に面白く、毎号楽しみにしてはいるのですが、連載開始当初から主人公エレンの言動で、一つだけどうしても引っかかるものがありました。


第1巻 3話
エレン「俺には夢がある…
巨人を駆逐して この狭い壁内の世界を出たら…
外の世界を探検するんだ」

第4巻 14話


序盤はこの「壁の向こうには自由があり、追い求めている世界が広がっている」といった事がエレンのその信念の一つとして描かれています。巨人を駆逐さえすれば、閉塞した壁の中から飛び出し、もっと自由な世界へ歩み出せるんだ、とエレンは夢を見ていました。

一気に話数を飛ばしますが、紆余曲折を経て、エレン達は壁の中で「家畜の安寧、虚偽の繁栄」を貪っていた王族派を倒し、さらに壁の外の巨人達も駆逐しました。


第22巻 90話
巨人を駆逐し、エレン達は念願の「海」を見る


進撃の巨人という作品自体の ”オチ” に、そういった巨人を駆逐し壁の外の、「商人が一生かけても取り尽くせない塩の湖」だとか「炎の水や氷の大地や砂の雪原」が広がる世界へ出ていくんだ、という夢物語なファンタジーとして終わるんじゃないか、という事だけが作品の序盤から読んでいてずっと気がかりでした。

しかし前回書いたように、壁の外の世界にはさらなる絶望がひろがっているのみでした。巨人のような分かりやすい敵だけではなく、その外にはさらに大きな「世界」が敵として、エレン達の生存を脅かしているという現実に直面します。エレン達が戦わなければならないのは、そういった世界そのもの、あるいは歴史や文明といったものでした。


第22巻 90話

エレン「壁の向こうには…海があって 
海の向こうには自由がある
ずっとそう信じてた…
…でも違った 海の向こうにいるのは敵だ 
何もかも親父の記憶で見たものと 同じなんだ…
…なぁ? 向こうにいる敵… 全部殺せば 
…オレ達 自由になれるのか?」

このシーンでもって、進撃の巨人は間違いなく歴史にのこる名作になったと思います。

※余談ですが、エレンは「全部殺せば自由になれるのか」と、皆殺し宣言のように聞こえるような発言をしてはいますが、それを本当に目指しているわけではないと解釈すべきだと思います。リヴァイが言う「不足を確認して現状を嘆くのは大事な儀式だ」というものだと思います。

壁の向こう、巨人を駆逐した先、エレンが夢にまで見た自由の世界。しかしそこには自分達を滅ぼそうとしてくるさらに強大な敵がいるだけ、という現実にエレンは打ちひしがれます。壁の中に存在する敵を倒し、壁の外の敵を駆逐したら、その海の向こうにはさらなる敵がいる。僕らの現実そのものです。

そして、しばしば陥りがちな思考ですが、目の前のわかりやすい敵対する存在に世界の悪性の全てを投影し、それさえ無ければ自分(あるいは自分達)はもっと自由に生きられるのに、もっと活躍できるのに、もっと人生を謳歌できるのに、と思いがちです。しかしこの世の中にそんな分かりやすい「悪」など存在しません。

それどころか、時には敵と交渉したり、取引したり、手を結んだり、共闘したり、あるいは同盟さえ結ぶことすらあります。進撃の巨人の今後は恐らくそんな物語になるのではないでしょうか。

エレン達がその絶望的な世界と戦うように、現実の僕らもまたそうあるべきなんだろう、そう強く感じる作品です。