2018年1月21日日曜日

西部邁と夏目漱石「こころ」

覚えているのは20年程前、ネットなんかは無く、テレビが言論の主戦場で、朝まで生テレビなんて討論番組が世相の最先端、っていう時代。この番組での議論の趨勢がメディア全体の論調にも結構影響を与えていたなんて頃。

その頃の僕は10代半ば、誰しもあるように僕自身も社会と自分との関わり方の悩みを抱えていて、「まがいなりにもそれなりの識者達がいて、自分よりもずっと大人なこの人達の議論から何か学べるんじゃなかろうか」って感じで何も知らずにボンヤリとあの番組を見ていました。

当時の自分に議論の中身そのものを過不足なく理解はできたとは言えないけども、それでも彼らがほとんど空虚な、世相という薄甘い共通認識をレトリックの泥で塗り固めた凶器で相手を言い負かそうとする奴らばかりである事だけは理解できました。

そんな中で西部先生だけは、別の言語なのかと思うほど異なる言葉を話されていました。クソガキだった僕にもひと目で分かる、いい意味で他の言論人と全く異質なその存在。正直に白状すると当時の自分にその意味を全て理解できたとはとても言えないけども、それでも「この人だけは違う」と確信した記憶があります。

例え他の誰も主張している者がいなくても、例え他の誰にも理解されなくとも、自分の信じる言葉を誠実に話されるその姿。道に迷ってた時に西部邁の言葉を聞けたから、今の自分が多少なりとも物事が見えて、多少なりとも耳が聞こえるようになったんだと思います。

…いつかもしかしたら、こんな感じで西部先生に直接お礼をお伝えする機会があったらな、なんて考えていたのですが、残念ながらその機会は永久に失われてしまいました。本当に残念です。


夏目漱石の「こころ」の一節を思い出します。


 すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。

 「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。 それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。

明治天皇が崩御され、乃木将軍も殉死された時に「明治」的なものが永久に去ってしまったと、「こころ」の「先生(あるいは漱石自身)が感じた様に、こうして僕らからも今日、西部先生と一緒に戦前から戦後へと連なるマトリクスが去っていったような気がします。

知れば知るほど尊敬する先生でした。西部邁先生のご冥福をお祈りします。

2018年1月3日水曜日

馬鹿なことを言う権利 その2

前回の記事の続き




あまりに目に余る…。




オルテガ先生はこの手のタイプの人間を徹底的に批判しています。


かれら(大衆)の心の根本的な構造は、閉鎖性と不従順さでできているからであり、事物にたいしてであれ、人にたいしてであれ、自分らを越えた向こう側にあるものに服従する機能が、生まれつき欠けているからである。 (p.78)
大衆は大衆でないものとの共存を望まない。大衆でないすべてのものを死ぬほど嫌っている。(p.91)

紛いなりにも、朝生は30年以上の伝統ある番組で、僕も記憶にありますが、昔は本当にこの馬鹿みたいな幼稚な非武装中立論を叫んでた奴らがいたんですよね。しかしさすがに馬鹿すぎて駆逐されたという経緯があります。彼の知的不誠実さは、その30年の議論の結果を無下にし、30年分巻き戻そうとする所業であり、人間の文明の発展を阻害する行為にほかならないんですよ。


文明の、ある特定の原理に関心がないというのではなく、文明のいっさいの原理に興味がないのである。(p.95)
現代の大衆的人間は、じっさいに原始人であって、この原始人が文明の古い舞台のなかに書割からすべりこんできたのである。(p.97)

何よりも度し難いのは、学者に食って掛かる際に彼は「己の無知」を武器に食って掛かる有様。そして反論できなくなると、次は「反論できないこと」を武器に殴り掛かるという。

こんなのを重宝しようとしているらしい、田原総一朗も相当罪が深い。むしろ、発展しようとする議論に対して、意図してこの手の馬鹿を混ぜる事で振り出しに戻し、例えば日本の防衛力の強化への前提となる世論形成を阻害しようとする明確な悪意があるのではないか、と解釈せざるを得ません。

危険な潮流を感じますね…。

2018年1月2日火曜日

馬鹿なことを言う権利

妙な漫才師が討論番組に出演して、非常に陳腐な持論と詭弁を展開したことが話題です。非武装中立論だとか、沖縄は中国のものだとか、誰かを殺すぐらいなら殺される事を選択する等々の発言が批判されてますね。

まぁ確かにこれらも問題なんだけど、個人的にもっと酷いと思ったのはこちらの発言。




書き起こし:
「(自分は)視聴者の代弁者だから」
「みなさんこれテレビですよ。これは若い人からお年寄りまで見てるわけですよ。だから一から十まで聞く必要があるんですよ。」

自衛隊違憲論が何か分からない、などと、この手の議論をする上での最低限の前提すら知らず、それを批判されると「大多数の声」という架空の民意を持ち出し、自分が愚かな事を発言する権利を主張する。

人は社会的分業を行うもので、何かにつけ専門と専門外というのがあります。得手不得手があり、誰しも不得手な事があるのは、悪いわけでは無いと思います。憲法問題が理解できないなら出来ないでもいい。全くかまわない。

だけれども!
理解できていないということを笠に着て、理解していないがゆえに、己の無知ゆえに、その主張を声高に叫ぶ権利など無い。そんなもの言論の自由とは呼ばない。

この手の無知蒙昧な大衆に対して、スペインのオルテガ先生が「大衆の反逆」という本で的確に切り捨てています。


『人権』『市民権』のような共通の権利は、受身の財産、まったくの利益、恩恵であり、あらゆる人間が遭遇する運命からのありがたい贈物であり、その運命を享受するには、呼吸をし狂人にならないようにする以外なんの努力もいらない。(中公クラシックス版 p.74)
簡単に言えば、偶然かれの頭のなかにたまった空虚なことばをたいせつにして、天真爛漫だからとでもいうほか理解できない大胆さで、そういうことばをなににでも押し付けるのである。(中略)凡人が、自分は卓抜であり、凡庸でないと信じているのではなくて、凡人が凡庸の権利を、いいかえれば、権利としての凡庸を、宣言し押しつけているのである。(p.82)

自分が愚かであることを認識し、愚かであるがゆえの権利として、自分よりも優れた者に口を挟み、その議論を凡庸化させる有様。まさにオルテガ先生の批判した大衆そのもの。



そして、次はこの態度


書き起こし:
(自分の主張がいかに間違っているか指摘され)
「これって議論じゃないですか。これって議論でしょ。非武装中立でも良い面と悪い部分があるんですけど、今一斉に悪い部分を言ってるから、これ会話にならないから駄目です」

なんて酷い詭弁…。オルテガ先生はこう言います。


目が見えず耳が聞こえないにもかかわらず、かれらが口をだし、『意見』を押し付けないような社会生活上の問題は、一つもない。(p.84)
大衆的人間は、議論をすれば、途方に暮れてしまうだろうから、かれの外にあるあの最高の権威を尊重する義務を本能的に嫌うのである。したがって、ヨーロッパの『新しい』事態は、『議論をやめる』ことである。(p.87)

非武装中立がいかに問題か、と指摘している意見に反論があるならその非武装中立の良い面を自ら主張すべきなのを、詭弁を弄して、自分より優れた意見に耳を閉ざして己の意見を押し付け、より優れた意見を否定する。そうして議論そのものを否定する。

ああ。もう絶望したくなります。



オルテガ先生はこう書きます。

なんらかの問題に直面して、頭のなかにうまいぐあいに存在する考えで満足する者は、知的な面での大衆である。それに反して、まえもって努力して得られたのではなく、ただ頭のなかにあるものを軽んじ、かれの上にあるものだけを自分にふさわしいと受け入れ、それに達するために新たに背伸びをする人は、すぐれた人である。(p.79)

簡単にいえば、自分の頭に湧いてきた考えを重視せずより優れた意見に耳を傾け、そこに至るように謙虚に努力すべし、ということです。この漫才師にはその様子は一切伺えませんね。

僕自身も、現代人の一人として、こういった大衆的なものの呪縛から逃れられません。僕も明確にオルテガが批判した大衆人の一人です。しかし、それでも、こんな知的に不誠実な有様よりはいくらかマシであるとは自負します。

彼のような人物を他山の石とし、大衆的なものへの自らを律するための悪い見本とするべきだと、まさに凡庸さの戒めとして省みるべき事例だと思います。